学歴は保険だ!終
5話に渡り体験談を無理矢理纏めて記載させて頂きました。
最後に要点を纏めさせて頂きたい。
1.学歴は職業と企業選択の幅を拡げます!
大学院卒は冗談抜きに職業と企業選択し放題です。
私が知る大学院卒の方々は1年目は初任給は低くても2年目以降からの昇給ペースが早く、あっという間にベテラン高卒社員や上司を追い抜いています。
新卒は賞与は冬から満額支給ですが、大学院卒はベテラン平社員と同額かそれ以上支給されます。
それ位学歴は大きいモノなんだと痛感致しました。
この世には通学、進学したくても事情により出来無い方々がたくさんいます。
現在学業を勤しんでいる方々は絶対に無駄にして欲しく無いのです。
この世に産まれてからたった22〜24年、義務教育が始まる6歳から16〜18年学業を我慢して頑張るだけで定年まで高収入が約束されるのですから。
2.高経済、高利便の土地を生活の基盤と基準に!
これは学歴は関係無く言える事だと思うのですが、最低賃金が安くインフラが不便でコストが掛かる田舎に住むより、最低賃金が高くインフラが便利でコストが掛らない都会に住むのが合理的です。
合理的だから都会に発展し経済が循環するのです。
不合理的だから田舎に衰退し経済が停滞するのです。
理解出来ましたか?
学歴が無いから良い仕事に就けない、給料が低い仕事しか無いと嘆く方は移住してチャンスを掴んで欲しい。
3.大企業の期間従業員募集を利用しよう!
学歴が無い方でも大企業の正社員になれるチャンスは自動車メーカーや自動車関連企業の期間従業員募集を受けて働いてみるべきです。
勤務成績や素行が問題無ければ試験の推薦も来ます。
中卒で採用試験を合格し役職まで手に入れた友人や知人は数多く居ます。
最近私の後輩が中卒でしたが、日産の社員試験を合格し正社員で働いています。
日産のとある部署の係長2人は期間従業員上がりの中卒です。
事情が有って進学出来なかった方々、絶対に諦めないで欲しい。
取り敢えず3点に要約しました。
是非参考にして頂きたい。
学歴は保険だ!5
人生や職歴が訳有りな為に生活保護の申請すら脚下されたり散々な状態で野宿しながら日雇等で凌いだ。
この時、自分は地元に執着し過ぎた事や社員試験開始前に再赴任しなかった事、恋人やその家族、人間を信用し過ぎた事を後悔した。
教訓は今も活かされている。
その反省から日雇で資金が貯めり準備を 始めた。
そしてまた期間従業員募集を切っ掛けに関東に向かった。
教訓の一つとして生きていく為には不景気の故郷を捨てる覚悟と妥協も必要だという事。
現在安泰した生活をしている私は故郷を捨てた事は後悔はしておらず、逆に正解で良かった。
産まれてから1度も良い事が無かったから故郷とは思ってもいなかった。
余談だが再赴任しなかった会社の上司達と未だ仲良くさせてもらっているので連絡を取るのだが、あの時再赴任して社員試験を受けたら合格は決まっていたメンバーの1人だったそうだ。
本当に後悔している。
あの時再赴任していれば一生安泰だったのだが。
現在に至るまで関東と首都圏で期間従業員を経て本当に最近安泰を手に入れたのだが、人生を安定させるには学歴や生い立ちを問わず資金が必要になる。
だからこそ生活基盤や基準を経済重視で選ぶべきだ。
不景気で不便な土地より、好景気で利便な土地で生きるべきだ。
地価や物価が高くても給料が高いので身の丈に合った生活をすれば、少々贅沢しても問題は無い。
今回5話形式で記載させて頂いたが、要点だけ無理矢理纏めて簡潔にした。
詳細を書き過ぎると、私だけなら良いが関係者に迷惑が被るので御了承願いたい。
学歴は保険だ!4
満期を迎え地元に戻り失業手当を受給しながら職を探していた。
社員試験が始まる直前に満期を迎えたので受験出来ずにいた。
他の期間従業員募集も良かったのだが、当時は若かったので地元に対する愛着に負けていた。
しかし地元の経済レベルの低さに愕然とした。
相変わらず就職は学歴の壁にブチ当たっていた。
ではバイトはどうか?
時給は首都圏や関東、名古屋に比べると300円以上の差が有った。
そうこうしている内に、失業手当が終わった。
私が地元に帰って来ている事はアングラの世界の仲間に知れ渡っていた。
結局アングラの世界にまた戻った。
その後、結婚手前まで話が進んだ女性とその家族に人生を壊され裁判を繰返し全て勝利したが、慰謝料と賠償金は今現在でも一銭も支払われておらず、その女性と家族が原因でアングラの世界を引退する事になった。
勿論ケジメを着ける為の金もシマも全て精算させられた。
裁判闘争に掛かった費用は数千万にもなった。
そして32歳なるまでの5年間ホームレス状態で雲隠れ生活が始まった。
学歴は保険だ!3
その広告とは自動車メーカーの期間従業員募集であった。
しかも社員雇用有りと。
当時18歳、周囲は大学進学や就職して充実した日々を送っていた。
俺は両親や親族に嫌気がさし15歳で家出、中卒でアングラの世界に飛込み3年が過ぎ、それなりの金を手にしていたが周囲と同じ様な人生に憧れていた。
周囲よりは一歩遅れた人生かも知れないがスケールのデカい土地で、スケールのデカい一流企業で働けるチャンスでは無いかと。
私は決意を固め、地元へ急遽戻った。
そしてケジメを着けて引退した。
関係者の反感は相当だったが年齢が味方をして幸い事は大きくならなかった。
その後地元の面接をクリアし指定の日時に会社へ飛び立った。
到着後は説明と研修を終え、配属先決定と流れ勤務を開始した。
人生で初めて社会保証を手に入れた時でも有った。
その当時は15歳からアングラの世界で生きていたので、税金や年金、国民健康保険等は無知で有った。
寮の自室で一流企業の名前が入った社会保険証を眺めていたら涙が止まらなかった。
期間従業員とは言え、一般社会で社会人になれたんだと。
福利厚生の良さや週休2日制、残業も程々にも関わらず給料の良さにも感動した。
これが一流企業の待遇と生活か。
当時は今と違い契約期間が11ヶ月満期の1ヶ月待機が法律で決まっていた。
安泰した日々で休みは必ず外出した。
今まで青春も無く、産まれてから家族と出掛けた事も無く、アングラの世界で必死で生きて来た私には自分の時間は一切無かった。
観光地を巡りをしたり、スーツばかりで流行の服を買ったり着た事が無かった私は思う存分買物をした。
子供の頃、周囲はゲーム機で新作ゲームを買ってもらい遊び尽くしている姿を指を咥えて見ている悔しい日々だった私が初めてゲーム機を買い遊んだ。
本当に充実していたが遂に満期を迎えた。
学歴は保険だ!2
アングラの世界に戻り変わらぬ日々を過ごしていたが、新規グレーゾーン事業立上げの為に関東と首都圏や名古屋等の高経済地域に長期出張する事にした。
この長期出張が私の人生形成に大きく役立つ事になった。
空港に降り立つと、地元繁華街を遥かに超えるスケールのデカい建物が密集し、車道は広く車線も多い。
そして道行く人の数や走る車の台数、兎に角全てが圧倒的でショックを受けた。
これが大都心なんだと。
地元は政令都市であるし繁華街生まれ、繁華街育ちのプライドが有ったが、秒殺で打ち砕かれた。
新規事業の為に財界人等を始めエリート中のエリートと会議や商談を繰返す日々の中、キャリアや高学歴が活躍出来る超高レベルの世界に私は憧れを強く抱いた。
彼等の様にはなれないが、このスケールのデカい世界で生活してみたいと。
でもクリーンな世界で働くには学歴の壁がある。
見知らぬ土地でバイトで生活する自信は無い。
思い悩んでいる最中、新規事業の人材募集の為に求人誌を買い集めて掲載契約をアポ取りしている時に目に止まった広告が私を突き動かす事となった。
学歴は保険だ!1
私は両親が保護者としての自覚が無く貧困であった為、15歳から社会人生活を開始しました。
簡単に言うと中卒です。
15歳の未成年が選べる職業は限られています。
なので野宿や友人宅を宿にしながらアングラな仕事をして食い繋いで来ました。
周囲が制服を着て学校に通学している姿を見る毎日がとても辛かったですね。
アングラな仕事を朝から晩まで働き、毎日途方に暮れていました。
国家権力の目を掻い潜りながらの生活は本当に大変でしたが、一人暮らしを始め自分の居場所を確保出来た事が嬉しかった。
しかし365日自分の時間は無く、気が付けば周囲は大学進学か就職の時期を迎えていて正直羨ましかった。
其処で私は限られた時間で職安等で求人情報収集や求職活動を始めたが、現実に愕然とした。
求人票や資料はどれも「高卒」や「大卒」以上であった。
1番辛かったのはセミナーに参加しようと会場に到着したら「中卒」である為に門前払いを多々受けた事だった。
学歴の壁を痛感した。
悔しさと悲しみを堪えながらアングラの世界に戻り、いつもと変わらぬ日々をまた迎えた。
失敗から学んだ事とは…
35年間しかまだ生きていないのですが、私の人生失敗談が皆様の参考になればと思います。
読み易い様にタイトル別にブログを更新させて頂きますので宜しく御願い申し上げます。